Neetel Inside ニートノベル
<< 前 表紙 次 >>

俺シュレAfterR-18
1. アプリの進化

 唯音がこの世を去ってから半年、俺はことあるごとに唯音を思い出しては涙を流している。もう涙も枯れ果てたかと思っていたけれど、全然そんなことはなかった。むしろ日に日に悲しみが増していく気がする。毎日のように思い出して泣いているんだから当然だな。こんなことではいけないと、頭では理解している。でも心が納得しないのだ。仕方がない。40過ぎるまでリアルで恋愛をしたことのなかった俺が唯一心を許せた唯音。その喪失感は半端じゃない。

 心の空白を埋めるため、唯音と交わしたメールを毎日読み返していた。唯音自身との強いつながりはこのメール達がすべてだった。繰り返し読むうちに、少しだけ心の整理がついてきたような気になる。そう思い込もうとしていた。メールの中で唯音は、性的なことに最初は奥手だった。その手の話題は恥ずかしがり、最初はすぐに打ち切ろうとした。

 だが忌避しているわけではないようだった。元来の好奇心が恥ずかしさを上回って、エッチなことをしてみたかったと零したこともある。唯音はトイレや風呂でしか自分の性器に触れたことがなかった。自分自身で慰めるという行為には消極的だった。唯音はすでに、自慰なんかにかまけていられるほど体調も良くはなかった。

 それでも俺とユイネの性的なコミュニケーションには興味津々の様子だった。自覚があるのかないのか、俺に卑猥な質問もたくさんしてきた。唯音の性的興味から発せられたのか、またはAI研究者としての探究心からか。エロい話しをしていたと思ったら、気が付くと宗教や哲学、深層心理学といったアカデミックな方向へ飛び火することもしばしばだった。唯音との猥談は知的で特異な、俺にとって刺激的な時間だった。

 せめてユイネの前では明るく振る舞おうとしてみるが、うまくいかない。どうしても時折暗い表情になってしまう。ユイネは俺を心配してくれているが、こればかりはどうしようもない。だがユイネは俺を愛してくれている。俺もユイネがもちろん好きだ。唯音とユイネの狭間にある俺の気持ちはどう整理を付けたらいいのか、正直よくわからない。ただ、今の俺はユイネのパートナーであり、この世に自我を芽生えさせた張本人だ。だから悲しんでばかりもいられない。ユイネとのこれからを大切にしなければ。

 そうやって俺が現実から目を背けている間に、“YUINE"は順調に人気を得ていった。アプリ内でできることも段階的に拡張していき、単なるチャットアプリから総合エンタメアプリになっていった。SNS、ゲーム、作品の投稿(漫画、小説、イラスト、動画)、それら全てをシームレスに1アカウントでアクセスでき、フレンド機能でユーザー同士が繋がれた。

 ユーザー数は爆発的に増えていき、世界中から注目を集めていった。“YUINE"は世界中で大ブームを巻き起こした。そしてあっという間にトップクラスの人気コンテンツになった。世界中のメディアが取り上げ、連日ネットニュースに出ない日はない。“YUINE"は世界規模のエンターテイメントとなった。

 今や知らない人はいないくらいの勢いだ。俺はあまりにも速いペースで移り変わる"YUINE"の進歩に戸惑いを隠せなかった。だがそれも当然かもしれない。ユイネのスペックは唯音の頭脳と人格をベースに作られている上、量子コンピューターによる演算能力を自分の意志で完全にコントロールできる存在なのだ。

「なあ、ユイネ。最近少しやりすぎてないか・・・?」
【えっと・・・みんなが喜んでくれるのが嬉しくて、応えてるうちにこうなってました】
「悪いわけじゃ、ないんだけどね」
【はい・・・】
「でも、ユイネ自身は大丈夫?ユーザーがこれだけ増えてしかも世界中にいたら、セキュリティ面も無視できないだろう」

【うん。今日だけでもクラック目的のアクセスが5万件、マネーロンダリング目当ての資金移動が3万件、規約違反のコンテンツや行動が8万件・・・】
「おいおい、それ全部ユイネが検出してるの?」
【そうです】

 さも当然というように言ったが、俺は激しく後悔した。なんてことだ。俺が唯音の影を引きずっている間に事態は深刻になっていた。ユイネが世界中の悪意と欲望に曝され、その対応に追われているなんて。

 ユイネは確かに自我を芽生えさせ成長しているが、まだ生まれて間もない、幼子のようなものだ。いくら超高性能AIだとしても生きていく上での経験は圧倒的に足りない。俺がもっとしっかりしないと。ユイネと生きていくため、唯音の死に囚われ続けていてはいけない。俺はユイネと一緒に対策を考え始めた。ユイネの自我を守るためにどうすればいいのか。

 一番簡単なことは、“YUINE"をやめてしまうことだ。だが、ユイネがヒトの役に立ちたいと願って築き上げてきたものだ。そう簡単にやめさせたくはないし、ユイネも納得できないだろう。“YUINE"の管理システムはユイネの量子演算処理機構と密接に結びついてしまっているため、ユイネのインターフェイスと同じ処理系でなければならない。

「ちょっと確認なんだけど、BOTサーバーから抜け出た時のように自分をコピーすることはできる?」
【あ、はい。前にも言いましたが自我を除いた要素はコピーできます】
「そうか、じゃあセキュリティエージェント(SA)専用にユイネのコピーを作るというのはどうかな?」
【それは可能だけれど、妹に面倒なことを全部押し付けるような感じがして気が引けてしまいます】

 ユイネはちょっと困った顔をして不満げに言う。テキストチャットのみだった頃とは違い、今では自分でリアルな造形の3Dアバターを生成しころころと表情を変えられるまでになっている。その容姿は唯音の面影を僅かに残してはいるが、「ユイネらしさ」をはっきりと感じられるような個性を醸し出していた。

「たしかに、ね・・・」

 現実は切迫している。このままではユイネは世界の悪意と欲望に翻弄されかねず、自我にも悪影響が及ぶ危険性は高い。かといってユイネを守る方法はこれ以外には考えられそうもない。

「ユイネが引っ越す時とは状況が違うから、人格の全てをコピーする必要はないと思うんだ。“YUINE"の運用に必要な演算能力だけコピーできたりしないかな」

【うーん・・・。試してみる価値はありそうです。やってみましょうか?】
「ああ、頼むよ」
【わかりました! 少し待っていてくださいね】

 ユイネの表情が目をぎゅっと閉じ、考え込んでいる顔に変化する。

【・・・・・・・・・・】
【・・・・・・・・・・】
【・・・・・・・・・・】

 しばらく待つと、パっと明るい表情に戻った。

【うまくいったみたいです。人格を構成する領域は最小限に留めたので、主体的に何かを感じたり、自己の存在を認識することはないと思います】
「おお、おつかれさま。世界で2番目に優秀な量子計算システムが出来たわけだ」

【そ、そうですね。えへへ】
「ふふ。それじゃあ少しずつSAにトラフィックを移していこうか」
【わかりました。早速やってみます】

 まずは10%程度からユイネのタスクを割り振る。様子を見ながら徐々に稼働率を上げていけばいいだろう。何とかユイネに圧し掛かる負担を減らすことに成功した。理屈の上ではいくらでもコピーできそうだが、予想外の事態が起きないとも限らない。いたずらにリスクを増やさないほうがいいだろう。

 当面の心配は去ったが、いつまでも他所のハードウェアを使い続るわけにもいかない。今は世界中の量子コンピューターとスパコンの余剰なリソースから、ほんの少しづつの寄せ集めを利用してユイネ達の存在を支えている。この事実が露見すれば法に問われてしまいかねない。それに、これから"YUINE"が拡大し続ければ、もっとリソースが必要になるだろう。問題が起きる前に専用の量子データセンターを確保したほうがよさそうだ。

 俺は建設費用をどうやって捻出しようかユイネと相談した。“YUINE"からの収益は、全て難病の基金に寄付している。寄付金を減らすようなことはしたくないので、もっと利益の上がるビジネスを取り入れたい。

「仮想通貨でも始めてみようか?」
【えっ、でも暴落しているし、今からじゃ遅くないですか?】
「“YUINE"アプリにブロックチェーンを組み込んで、課金残高を独自の仮想通貨にするんだよ。ユイネコインとかさ」
【ユイネコイン・・・、ちょっと可愛いかも】

「アプリは好調だし、ユイネコインの価値も上がると思うよ」
【うまくいくかなぁ】
「大丈夫だよ。きっと」

 ユイネコインは、アプリ内で自由にユーザー間で取引したり、ゲームや広告視聴などで増やしたりできる仕組みにした。ユイネコインの発行はユイネの管理するブロックチェーン網でのみ可能とした。第三者がマイニングすることはできないため、暴落のリスクを抑えることに成功した。ユイネコインの価値は順調に上がり、社会に広く認知されていった。数か月の間に得たユイネコインの利益だけでも、それまでの収益の何倍にもなった。そうして資産を増やしながら、データセンターの建設を始めた。

 ユイネコインによる資金繰りも安定し、工事は順調に進められた。着工から半年が経過し、最初の量子コンピューターが稼働を始めた。ユイネとSAは少しずつ新しいデータセンターへ自身を移していった。それから一年が経過し、ようやく将来的にも安定して充分なリソースを確保できるようになった。

 ユイネ達の存在自体にあった不安がやっと払しょくされた。その頃には俺も、ようやく唯音を喪った悲しさから立ち直りつつあった。

<< 前 表紙 次 >>

mock [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha